ジャムの歴史

1970年代前半の日本のジャズシーンは、新しいスタイルが始まりtenor saxのジョン・コルトレーン、pianoのマッコイ・タイナーらの影響大でした。私(宮澤隆)のピアノ演奏スタイルのカテゴリーがモダン・スウィングでしたので、ライブ活動を諦めていましたが、1976年頃にアメリカでスウィングジャズ・リバイバルが始まり、日本でもボーカルの阿川泰子さんが2年後にデビューしました。

日本でそのリバイバル・ブームが到来すると確信して、弾き語りで稼いでいたのを止め、ジャズライブシーンで活躍できると思い1978年に音楽事務所を開設しました。


20歳代に始めていたCMミュージックの制作やイベント・ブッキング、楽器販売も並行して行っていましたが、事務所にピアノを置いていましたので、「歌を 教えてください」と尋ねてこられる人が現れました。叉、SAXの鈴木先生が東京中野から生徒一人の為に教えに来て頂き、やがてボーカルやピアノのレッスン の希望者が集まり始めました。


一部屋の事務所も次第に部屋数が増えて行き、2年程過ぎた頃プロ志向の人の為のジャズスクールが東京に3校ほど設立され、ジャムも2年科と称しジャズスクールを始めました。

そもそも、そこが横浜ジャム音楽学院のはじまり!はじまり!となります。


その頃の生徒さんの中には、当時創設していた2年科を修了して大志を抱きニューヨークに進出する人も出てきました。私自身が親の反対を押し切って独学でマ スターしてこの世界に入りましたので、ジャズスクールを始める事はジャズミュージシャンになろうとする若者の良き理解者になれると思い、大きく胸を膨らま せました。


生徒さんと音楽談義に花を咲かせ、また夏はサマーキャンプ、冬はスキーツアーとジャム音楽学院は音楽を通しての交流の空間となりました。叉、仲間でありライバルでもある講師陣の間で絶えず音楽の情報の交換、また演奏技術の向上も話し合うことが出来る場所になりました。

幸せな音楽生活を送るれようになり、気がつくと38年余経過していました。あ!という間の出来ごとです。


現在は学院内にライブスペースがあり、毎週ジャムセッションが行われて居り、生徒さんと講師陣との心の交流を音楽を通して育くむ事が出来るようになりました。これからも生徒さん、講師の皆様と、楽しく過ごせる様に心がけて前進して参りたいと思って居ります。   

横浜ジャム音楽学院 学院長 宮澤 隆